アメリカ在住プロダクトマネージャーのブログ

アメリカの大学院を卒業後、そのままアメリカに残り、現在は某米国企業でプロダクトマネージャーとして働く男子のつぶやき。

留学で英語力は上がるのか: 純ドメの私の大学院留学から現地就職まで

私の場合は大学院での修士号取得が目的での進学だったので、英語力の向上は二次的な目標でした。そもそもそれなりの英語力がないとアメリカの大学への進学は難しい(私の場合は留学前にTOEFLで109点)ので、全くのゼロからではないですが、参考までに。尚、結論から述べると、英語力がググッと上がってミーティングを仕切れるようになったのは、アメリカで現地就職をして半年くらいでした。

 

1. 留学前の準備

2. 留学直後の状況

3. 留学一年目

4. アメリカでのインターン

5. 留学二年目

6. アメリカ現地就職、その後

 

1. 留学前の準備

私は東京大学で学士を取り、更なる勉強のため、海外の大学院への進学を志しました。周りにはあまり海外の院へ進学する人がいなかったので、インターネットなどで情報を集めつつ、推薦状を色々な人にお願いしていました。その際、推薦状を書いて頂けることになった、専攻分野ではかなり有名な方からこんなことを言われました。

「僕も昔、アメリカで勉強してその後向こうの研究室にいたけど、英語ができないと留学しても身にならないよ。特にマスター取るなら英語は留学前に出来るだけやりなさい。」

 

今思えば金言ですが、当時はあまり意味もわからず、そんなもんか、くらいに考えていました。ただ、素晴らしい業績を上げていらっしゃる方だったので、アドバイスには素直に従うことにしました。私の希望していた院への進学には、正直それほど高いTOEFLの点数は必要ありませんでしたが、インターネットで様々な留学情報を調べていると、たまたまMBAの有名校であるハーバードビジネススクールに行くにはTOEFL 109点が必要、ということを知り、この点数を目指すことにしました。

 

幸い、英語は大学在学中も論文を読んだり書いたりするためにある程度つかっていたので、3ヶ月ほど集中して勉強した結果、三度目のテストでTOEFL 109点ぴったりを取ることができました。

 

2. 留学直後の状況

晴れて最も志望度の高かった学校群の一つから合格を貰い、学生ビザを取って夏前に渡米しました。公式に要求されているTOEFLの点数よりも高い点をとったので、意気揚々とスクールライフを始めましたが、最初の壁は新入生歓迎パーティーで訪れます。同級生のアジア系の女の子が笑顔で話しかけてきたのですが、

「☆*○%♪○○?」

全く分かりません。たどたどしい英語で、

「Pardon?」

と尋ねるも、

「☆*○%♪○○?」

ときて撃沈。気まずい空気がながれ、彼女は苦笑いしながら去って行きました。スタンダードな入学前のインタビューや試験で聞く英語と、容赦のない生の英語との圧倒的な差を知った日でした。

 

3. 留学一年目

これではいかん、と一念発起し、色々な方法を試して生の英語に慣れる努力をしました。この辺りはまたおいおい書きたいと思いますが、Podcastが一番役に立ちました。SYSKとかThis American Lifeとか今でも聞いているものに出会ったのもこの頃。

 

しかし結果が出るまでには時間が出るもので、ようやくクラスメートのカジュアルな会話に入っていけるようになったのは一年目の後半あたり。この頃には仲良しグループが出来てしまっていたので、同じく英語があまり得意ではなかった数人の中国人とインド人とひたすらつるむことに。耳はPodcastのおかげで鍛えられるも、スピーキングは相変わらずお寒い感じで一年目の終わりを迎えます。

 

4. アメリカでのインターン

スピーキングに劇的な変化が出たのが、アメリカで経験した、某テック企業での夏のインターンでした。インターンは比較的あれよあれよと言う間に決まったのですが、インターン中はほぼ毎日誰かとミーティングしたりしてインプットをし、それを現場の仕事に反映させるようなことを2ヶ月以上に亘ってやりました。かなり大きなスコープの仕事を任せてもらう感じだったので、いろいろな人に質問して、自分の向かう方向性を多角的に検証する必要があったためです。

 

このインターンでは、とにかくスピーキングが鍛えられました。自分が話さないと何も前に進まない、という状況の中で、ミーティング前に時間をかけて話したいポイントを整理して、それに沿ってミーティングを進めました。偉い人と会う場合には、事前にアジェンダを書き起こして共有したりしました。結果として、そこそこミーティングで意味のある会話が出来る様になったものの、事前準備の負担は重く、実際にアメリカで働けるのか、という点に自分の中で疑問を残すことになりました。

 

5. 留学二年目

若干の失意のまま学校に戻ると、クラスメートとのコミュニケーションが一年目とは比べものにならないくらいスムーズになっていることが分かりました。少なくとも前のように会話がつまったり途中で置いてけぼりになることはなく、拙いながらも会話の輪に入り、たまに発言したり出来る様になりました。

 

これはチャンス、と思い、遅ればせながら課外活動にも力を入れ始めました。点数のよかった教授にメールして面談をとりつけてTAに応募したり、小規模の勉強会を企画したり、はたまた校外のネットワーキングパーティーに参加したりしました。未だに事前の準備は必要だったものの、慣れてきたためか事前の準備にかかる時間は短縮され、これはアメリカでもやっていけるのでは?、という気になってきていました。

 

幸運にも私はいくつかアメリカの企業からアメリカのHQで働くオファーを頂いたので、その中から多少ネゴって最も条件のよかったところに就職しました。

 

6. アメリカ現地就職、その後

意気揚々と初日を迎えたはよいものの、インターンとの差に愕然とします。インターンでは一つのプロジェクトに集中できたのに、実際の業務ではいくつかのプロジェクトを掛け持ちしながら進めなければなりません。院卒ということで、学卒の子達の非公式なメンターのような役割も途中から追うようになり、ミーティング前に事前にアジェンダを時間をかけて準備するようなことはほぼ不可能になりました。

 

おそらく業務に慣れてきたのもあると思うのですが、アジェンダの準備を諦めてから2週間ほどして、ふと普通にミーティングに参加できている自分に気づきました。それからはミーティング内で一回以上発言する、などと細かい目標を立て、一つずつ達成していきました。入社して半年経つ頃には、自分の専門分野であれば、ある程度ミーティングを仕切れるくらいにはなりました。

 

その後&まとめ

そうこうしているうちに、一緒に働いていたプロダクトマネージャーに気に入られ、プロダクトマネージャーに社内でジョブチェンジをしました。プロダクトマネージャーは殆どすべてのミーティングを仕切り、方向性をチームに与えなければならないため、英語力的にはきつい部分もありますが、よいチームに恵まれてなんとかやっています。

 

一つ言えるのは英語は長期戦ということです。特に、私のように純ドメとして育つと特に時間はかかります。きちんとした目標管理と、拙速にならず、ある程度腰を落ち着けて時間をかける覚悟が大事なのかな、といま振り返って思います。